2013年03月27日
凄い雰囲気の「鳥居・狛犬・石像」がある蒲生神社(その2)
では前回記事「凄い雰囲気の「鳥居・狛犬・石像」がある蒲生神社(その1)」←“クリック”の続きです。。。。
本殿の前の境内には石碑があり、蒲生神社の由来が記されています。

ザックリ要約すると、
-----------------------
壇ノ浦の戦いに敗れた平氏一族の約300余人は喜界島に逃れ、その後奄美大島を攻め平定し、
大島島内を3分し3人の大将が治め守備にあたった。
その時この地を領した大将は笠利湾入り口をはさんで、屋仁崎には蒲生佐衛門、
安木場には今井権太由夫を配し敵(源氏)の襲来に備えた。
そしていつの頃からか屋仁崎・今井崎は二人の名に因んで蒲生崎・今井崎と呼ばれるようになった。
蒲生神社は遠見番であった蒲生佐衛門を祭神として建てられ、大鏡の御神体が奉納されている。
明治以降の近代社会においては戦争に出征する兵士の武運長久を祈願し多くの人々が参拝された。
またニャテラガナシの御神体が合祀されており、縁結び・お産の神として安産を祈り、
参拝者の絶えない尊い神社である。
昭和五十二年 十月二十一日
---------------------
という内容が記されています。
へ~なるほど・・・なんだかすごくありがたい感じがしてきました。。。
その他に境内にはいくつかの石塔があります。

そして本殿前の鳥居の左右には狛犬と石像が鎮座されています。
それがこちら。(見えにくくてすみません。)

(鳥居から本殿に向かって)左の石像と狛犬。



(鳥居から本殿に向かって)右の石像と狛犬。



すごいです。。。!!
・・・本当に表現する言葉が見つかりません。
狛犬は内地でよく見る獅子のような姿ではありませんし、
また、この二人の石像は何方なのか・・・?
(個人的には石碑に記されているお遠見番のお二方ではないかと思っていますが。。。)
話がそれますが、私はこういう歴史あるものを見たとき「それを造った人や当時の風景など」を想像して、
時間を忘れて当時に思いを馳せてしまいます。。。
本当はもっと“タイムスリップ”していたかったのですが、とっくに先に行った子供達に、
「おとぅー早く来てー!こっち、こっちぃー!」と何度も呼ばれて名残惜しい気持ちで参拝終了です。
続く、、、
本殿の前の境内には石碑があり、蒲生神社の由来が記されています。

ザックリ要約すると、
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壇ノ浦の戦いに敗れた平氏一族の約300余人は喜界島に逃れ、その後奄美大島を攻め平定し、
大島島内を3分し3人の大将が治め守備にあたった。
その時この地を領した大将は笠利湾入り口をはさんで、屋仁崎には蒲生佐衛門、
安木場には今井権太由夫を配し敵(源氏)の襲来に備えた。
そしていつの頃からか屋仁崎・今井崎は二人の名に因んで蒲生崎・今井崎と呼ばれるようになった。
蒲生神社は遠見番であった蒲生佐衛門を祭神として建てられ、大鏡の御神体が奉納されている。
明治以降の近代社会においては戦争に出征する兵士の武運長久を祈願し多くの人々が参拝された。
またニャテラガナシの御神体が合祀されており、縁結び・お産の神として安産を祈り、
参拝者の絶えない尊い神社である。
昭和五十二年 十月二十一日
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という内容が記されています。
へ~なるほど・・・なんだかすごくありがたい感じがしてきました。。。
その他に境内にはいくつかの石塔があります。

そして本殿前の鳥居の左右には狛犬と石像が鎮座されています。
それがこちら。(見えにくくてすみません。)

(鳥居から本殿に向かって)左の石像と狛犬。



(鳥居から本殿に向かって)右の石像と狛犬。



すごいです。。。!!
・・・本当に表現する言葉が見つかりません。
狛犬は内地でよく見る獅子のような姿ではありませんし、
また、この二人の石像は何方なのか・・・?
(個人的には石碑に記されているお遠見番のお二方ではないかと思っていますが。。。)
話がそれますが、私はこういう歴史あるものを見たとき「それを造った人や当時の風景など」を想像して、
時間を忘れて当時に思いを馳せてしまいます。。。
本当はもっと“タイムスリップ”していたかったのですが、とっくに先に行った子供達に、
「おとぅー早く来てー!こっち、こっちぃー!」と何度も呼ばれて名残惜しい気持ちで参拝終了です。
続く、、、
Posted by 泥んこKazu at 21:16│Comments(0)
│奄美大島の文化